



中秋節と月餅について
2026年9月9日

季節とともに味わう
台湾の食文化
台湾を含む中華圏の伝統的な食文化において、「漢餅(ハンピン)」は人の一生の物語と、季節ごとの節目を伝えてきました。
旧暦8月15日である中秋節になると、家族が集い、美しい満月を眺めながら「月餅」や「漢餅」を分け合って味わいます。
それは単なる美味しいお菓子ではありません。
天地への感謝、親しい人への祝福、そして人と人との温かなつながり。漢餅には、そうした想いが込められています。

■ 漢餅・月餅と中秋節の深い関係
「漢餅」とは?
―― 中華圏の食文化を象徴するお菓子 ■
文献では、「糕(コウ)」は主に米や穀物の粉を原料とし、砂糖、水、油などを加えて蒸す・揚げる・焼くといった方法で作るもの、「餅」は小麦粉を主原料として、さまざまな材料を加えて作るものとされています。
糕餅の起源については、三国時代の諸葛孔明にまつわる伝説も残されています。
漢餅は中華圏の食文化を象徴する存在のひとつとして、人々の移住とともに 台湾へ伝わり、その土地の風土や食文化と融合しながら、台湾ならではの味わいへと発展していきました。

■ 人の一生と季節に寄り添う漢餅 ■
漢餅文化は、人の一生のさまざまな節目に寄り添っています。
赤ちゃんの満月祝いには「紅圓」、生後4か月には「收涎餅」、満1歳には「度晬」、結婚には「文定囍餅」や「日頭餅」、年長者の長寿祝いには「壽桃」や「紅龜粿」。
さらに季節ごとのさまざまな行事にも漢餅が登場し、礼節や人への想い、そして人生の節目を大切にする文化を伝えてきました。

■ 糕餅と中秋節 ―― 季節の行事を代表する
大切なひととき 自然への感謝と祈り ■
季節ごとの行事は、伝統的な農耕社会において大切な生活文化のひとつでした。人々は季節や二十四節気に合わせて農作業を行い、自然とともに暮らしてきました。
中秋節はちょうど秋の収穫を迎える時期です。
自然への敬意と感謝を込め、月餅や紅龜粿などの糕餅を用意して神々や祖先に供え、豊かな実りへの感謝とこれからの幸福を祈りました。
■ 月餅にまつわる伝説と贈答文化 ■
中秋節に月餅を食べるようになった由来のひとつとして、劉伯温の「八月十五夜起義」の伝説があります。
元の時代、厳しい統治のもとで各地の人々が反乱を起こしていた頃、朱元璋は各地の勢力と連携して蜂起しようとしました。しかし、役人による取り締まりが厳しく、計画を伝えることは容易ではありませんでした。
そこで軍師の劉伯温が考えたのが 、「八月十五夜起義」と書いた紙を餅の中に隠し、各地へ届けるという方法だったと伝えられています。
そして旧暦8月15日の夜、各地の勢力が一斉に蜂起。その後、元の都を攻略したとされています。
朱元璋はこれを喜び、中秋節には兵士や民衆とともに祝い、かつて連絡手段として使われた「月餅」を季節の食べ物として人々に配ったと伝えられています。
こうして中秋節に月餅を食べる習慣が広まり、今日では家族で月餅を囲み、月を眺めるだけでなく、親族や友人同士で月餅を贈り合い、感謝や親愛の気持ちを伝える文化へと発展しました。
■「月餅」が象徴する、満月と家族団らん 円満を表す丸いかたち ■
古くから、中秋節に供える月餅は満月を思わせる丸い形で作られ、「円満」や「家族団らん」の象徴とされてきました。
中国・明代の風俗などを記した『帝京景物略』にも、中秋節には月を祀り、供える餅や果物を丸い形にし、親族同士で月餅を贈り合っていたことが記されています。

■ 分け合うという文化 ■
伝統的には、大きな家族がひとつの丸い月餅を一緒に分けて食べることで、物事が円満に進むことや、家族がそろって幸せに暮らすことへの願いを表しました。
「分け合い、共に味わう」。
その文化があるからこそ、糕餅は単に美味しいお菓子というだけではなく、人と人とのつながりや想いを伝える存在として、豊かな文化的意味を持っています。
■ 台湾式月餅 ―― 綠豆椪と蛋黃酥の歴史と特徴
綠豆椪 ―― 台湾式月餅を代表する味わい
名前の由来 ■
綠豆椪(リュードウポン)は、台中・豊原が発祥とされています。
かつて炭火で焼いていた時代には、均等に火を通すため何度も生地を裏返す必要がありました。
ある時、裏返すのを忘れて焼き上げたところ、表面が雪のように白く、中央がふっくらと膨らんだ独特の形に仕上 がりました。そこから新しい製法が生まれたと伝えられています。
「椪(ポン)」とは台湾語で、焼き上げた生地の中央がふっくらと膨らんだ姿を表しています。

■ 幾層にも重なる生地の技 ■
職人は油酥(ヨウスー)と油皮(ピンイン)という異なる生地を重ねて仕上げます。
焼き上げると幾層にも分かれ、雪のかけらや羽毛を思わせる繊細な層が生まれます。その姿から「翻毛(ファンマオ)」とも呼ばれています。
